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私的 自己紹介
◆出生
1966(昭和41)年5月9日
福岡県久留米市に生まれる
・松田聖子
・チェッカーズ
など芸能人を多く生み出している町です。
自宅は久留米市の旧中心部でした。
日本福音ルーテル久留米教会です。
父親は牧師でした。
このため
毎週日曜日は教会に行ってました。
(まあ、自宅でしたから普通でした。)
日曜日の父親参観とか運動会に来てもらった覚えはないです。
そのかわりといっては何ですが、
教会の会員さんには可愛がってもらいました。
人見知りをしないってのもこういった環境の中で培われたんでしょうか?
◆幼稚園時代
幼稚園は
教会付属の幼稚園です。
日善幼稚園です。
自宅の庭が幼稚園の庭って生活でした。
幼稚園が始まる前から庭で遊んで、
終わってからも遊んでました。
と言ってもわんぱくなガキ大将ではなく、虫遊びをしてました。
(一人上手な子でした。言うことを聞かずに幼稚園に入れないことも度々ありました。)
↑今で言う引きこもりの走りなのかもしれませんね^^
◆小学校時代
小学校は久留米市立日吉小学校でした。
ブリヂストンの創業者である石橋さんの名前にちなんだ体育館を覚えています。
小学校入学の時に
父親がダンボール数箱の本をくれました。
中身は全部本でした。
(このお陰で今があるんでしょうか?)
知恵がある子でした。
(↑自分で言うのも変ですけどね^^)
今にして思うと余計な知恵でした。
○小学校1年生の頃、
「なんで学校行かんといかんと」って親や先生を困らせていたみたいです。
(私も自分の子供にこうやって聞かれたらきちんと理解させる解答ができるか疑問です?)
1、2年生の頃
「人は死んじゃうんだ」ってことに気がついてしまいました。
体育館の中を走り回って大声で叫んでました。
(↑本当にどうしていいのかわからなくなってしまったんです。
だけど、騒いでも解決できない問題だと気づくにはまだ若すぎました。)
担任の先生がとにかく怖い先生でした。
体罰なんて当たり前ですし、今なら首になっているでしょう。
良かった部分を探してますが...
○3年生の頃
一転して自由で自主性を大切にしてくれる先生と出会えました。
この頃から「目立とう精神」が芽生えてきました。
みんなに気に入られる事をするようになってきました。
○4〜6年生
若い新任の先生に出会いさらに目立とう精神が加速しました。
一方で「いじめ」られる兆候も出始めました。
感受性が強い子供でした。
西日本新聞の「小さな目」って詩のコーナーに入選したりしてました。
校舎の窓から飛び降りようとしたりとか
激しく生きてました。
※お笑い芸人とかが小さい頃いじめられてた話しって良くありますよね。
あれってサービス精神なんですよ。
構われてるって程度ですんでるのか、本当にいじめなのか?
その境目ってかなり微妙だと思います。
だけど、その当時はいじめられてると感じたりもしたし...
◆中学校時代
久留米市立諏訪中学校
校内暴力が全盛の時代でした。
金八先生とかもこの時代でしたものね。
小学校から中学校になる時の春休みに
文房具店を襲う事件とかが発生しました。
そのグループと仲が良かったので
疑われてました。
中学校入学後すぐに職員室へ呼び出されました。
(この頃から偉い人に歯向かうことを覚えました。)
○1年生
入学式の日に小学校時代の先輩がごっついリーゼントで優しく声をかけてくれました。
「上履きなんか履いたら汚れるぞ。そのまま上がれ」って感じの一言でした。
確かに板張りの廊下はタバコの吸殻が詰まってましたし、誰一人上履きをはいてる人がいませんでした。
中学校って恐ろしい^^
生徒総会(!?)かな
会長ってのがとってもステキなパンチパーマの方でした。
「有言実行」
公約が便所掃除でした。
結構きれいに掃除してましたが、途中から
なぜか、
便器が片っ端から割れてました。
(壊したら掃除しなくていいもんね^^)
なぜか卓球部に入部しました。
というのは
ここが不良の集まる部だったからです。
(先輩に入れっていわれたし...)
先輩はみんなで万引きして色んなものを部室で売ってました。
1年は見張りでした。
時々、女の人の泣き声が...
練習はただのいじめでした。
うさぎ跳びで階段を3階まで上がっておりてくるとか
足上げやらせていてちょっと動くとお腹へピンポン球スマッシュとか...←思い出したくないけど、覚えてる
後は水とか飲ませてくれなかったな〜(非科学的)
男とか女とかそんなことをとても意識し始めました。
というのも
私が好きだった子が
女の先輩に焼きいれられそうになってました。
だから
毎日学校の往復一緒でした。
小さな幸せでした。
○2年生
先輩がいなくなってほっとしてたら
転校することになりました。
練馬区立石神井中学校です。
がらりと変わって都会の上品な学校です。
それまでの中学校の制服が白の開襟シャツに白ズボンだったような(!?)
その格好で
新しい学校へ行きました。
学校へも都内の宿泊先からでしたので
正直道も分からない状態でした。
同じ中学校の生徒らしい人を見つけたので
後をついていきました。
その方にお昼休みに
呼び出しを受けました。
何と悪い方の人たちだったんです。
格好も割りとこぎれいですし
「まさか...」
何とか人懐っこい九州弁で許してもらえました。
それにしても
東京の不良は悪そうに見えない格好をしているなってのが実感です。
(これは大人の人たちにも言えますよね^^)
この頃からは急激に「権力」とか「力」に反発するようになってきました。
英語の先生が
間違った字を黒板に書いちゃったんです。
ただでさえ聞き分けの無い子(→自分)が、いきなり手を上げて
「先生、違います」
って言っちゃった。
すると
「俺は英語の教師なんだ。漢字を間違えることもあるだろう。」
って返してきて、
そうなりゃ
「人に教える教師が間違っていいんかよ!」
って言っちゃった。
ま、後で職員室に呼び出しでした。
担任が国語の教師だったんですが、
守ることばっかりしか言わなかったんでますますエスカレートしちゃって
親まで呼ばれちゃいました。
○3年生
「やればできる」はずの子でしたが、やりませんでした。
結果、都立の第2志望でした。
◆高校時代
この当時のことはあまり書けないですね。
直接お会いした方にはお話できるかも?
○1年生
「やればできる」と言われて
「君なら1浪で早稲田に入れる」
とまで言われても、
またしても逃げてばかりでした。
バンドでしたね。
しかも
パンクバンド^^
(今の自分からは誰も想像できないけどね)
学園祭で酒飲んで暴れてギター壊しちゃったような...
○2年生
もう、落ち続け↓
○3年生
おい、10段階で1だと留年だぞ
早稲田に記念受験^^
◆浪人時代
高校卒業の頃は友だちの家に世話になってました。
卒業式は遅刻しちゃったし、
バイトはしてたけど
食えないし、
浪人でもするか
北海道までの航空券は買ったけど、
空港から札幌までの貴社賃が足りなかった。
(だって東京で駅10個位あっても500円もかからないのに)
それくらい
いい加減だったかも
○1浪目
かなり勉強したかも。
だけど、冬季アジア大会が札幌で開催されて選手村ニュースの発行の仕事が回ってきた。
受験シーズンなのに、仕事が楽しくて...
○2浪目
かなり遊んでた。
ちょっとやけだったかも
◆大学時代
みんなが楽しいっていう大学時代は私にとっても楽しかった。
思わず5年も在籍してしまった。
○1年目
バイト三昧
バブルの余韻かな?
すすきのの側のお店でバイトしてたから、
バイトが終わると毎晩飲んでた。
カラオケではサザンを熱唱!!
お客さんからリクエストもらうくらいになってた(←っていうか、そんなに通うなよ〜^^)
しまいには
お店のオリジナルソングを先輩と一緒に歌ってた。
○2年目
サークル三昧
今も続いてるAB’Sってイベント企画、アウトドア系のサークルを立ち上げた。
自分の学校よりも女子大の前に行った方が確実に出会えると言われていた時代。
(だってチラシ配ってたんだもん^^)
大きなサークルとかと組んで
「ハコ」パーティーもやってた。
でも、
小さく「レンタルコテージ」パーティーが一番得意だった。
○3年目
卒業延期が確定していたので、
更生のためバイト先を郊外へと変える。
酒屋さんなのだが、
この時のオーナーが私にとっては始めての師匠なのかな。
バイト代を日払いでくれた。
だけど、半分だけだった。
後の半分は貯金してくれてた。
仕事中に時々ビールを飲ませてくれた。
飲んだ後は冷蔵庫の品だしだった。
○4、5年目
せっせとバイトした。
就職を考えてる時、
卒業したら一緒にやらないか?
と誘われた。
しかし、
スーツを着て営業をしてみたかったので、断った。
その時に頂いた手紙は今も大切に取ってある。
今回の独立を考える時にも相談に行った。
◆道央キャノン事務機販売株式会社
○入りやすそうだったから入った会社
新人研修の時、飛び込み訪問記録を打ち立てた。
130件/日
だけど、今思えばただ走ってただけじゃん^^
入社半年で上司が辞めて
リーダーになった。
部下が4人いた。
人の相談に乗るのは得意だが
マネジメントなんて全く縁遠かった。
左後ろにいる社長が
「内海君」
って声をかけられる度にビクビクしてた。
気がつくと
左耳が耳鳴りをして、
クラブで踊ってると時々聞こえなくなるようになって来た。
酒の飲みすぎと決め付けてた。
メニエル病になった。
症状が出てからすぐだと手のうちようがあったらしいんだけどね。
翌年の夏に辞めた。
◆雪かき屋
○歯医者さんのお客さんに
「冬の間雪かきが大変なんだ。」って話を聞いてたからすぐに始めた。
個人でやってる歯医者さんを探して直接営業した。
家の近所にポスティングもした。
老人世帯には感謝された。
だけど、
冬の間は毎朝緊張の連続だった。
しまいには夜眠れなくなってしまった。
だから、
夕方早い時間から焼酎を浴びてた。
早起きして窓の外を見てみる。
雪だったら仕事。
厳しいよね。
ってことで、
翌年からは後輩の知り合いにバイトを頼んだ。
夏の間は
便利屋をしてた。
青帽の人とつながって仕事をもらってた。
かなりその日暮らしだったな。
合間に社会保険労務士の勉強をしてた。
またしても、
逃げなのかな?
◆株式会社近江兄弟社
○札幌の教会員で秋山愛生舘の上層部の方がいたんです。
そこで、この会社を紹介してもらいました。
東京営業所で9年半、本社で2年弱お世話になりました。
そして、
現在はパートナーとしてお手伝いさせていただいてます。



